境内地内

室生犀星句碑

当家13代宮司が、室生犀星に師事し、犀星と親交を深めた。犀星没後も敬慕の念強く、昭和57年淺野神社境内に全国で12基目となる犀星の句碑を建立。この句碑は、犀星とも交流のあった名造園師『植宗』の作で『亀作り』と言う目出度い作りとなっている。碑文は、大正15年11月1日付当家13代宮司に宛てた、犀星からの手紙から写されており 『竹むらや やゝにしぐるる 軒ひさし』 犀星また、句碑の裏面には手紙の一文が刻まれている。『厚見君の家を二度ばかり訪ねたが、二度とも夜で秋であった』室生犀星                       昭和57年5月8日 除幕

 

北川洗耳句碑

北川洗耳は、淺野神社横の『小橋用水』に沿う水車町に居住していた。洗耳の人柄を、八田健一著『百万石太平記』の中に、「淺野のお宮を目の前に右手へ小さな板橋を渡ると家が4 、5軒建っており、その中に杉垣をめぐらした洗耳師の旧虚が建っていた。新俳句勃興の初期に金沢地方へ遊歴してきた碧梧桐、紅録、竹冷などの巨星たちも、かつてはこの虚を叩いたものだ 。なかなかハイカラでピンとした八文字髭を立て、黒木綿の五ツ紋羽織で反り身になって 、よく小橋や岩根の風呂屋へやってきた・・・」と記されている第四高等学校に勤務し、賞状などを達筆な楷書で書いていたという 『水音に 火伏せ太鼓も ぬるみてん』 昭和54年10月20日 建立

 

逆立ち狛犬

全国的に見て『逆立ち狛犬』が多い金沢、 狛犬マニアの間では有名な話らしい。淺野神社境内にある『逆立ち狛犬』は『大正3年 石工福嶋伊三次』とある。加賀百万石の人たちは、人とは違うものが好きで単に派手好きだったのか、何故逆立ちなのか・・・分からないままである。

 

拝殿内大額絵

拝殿内に掲げられているこの額絵は『ひらがな盛衰記』を題材としたもので、弘化4年(1847)に奉納された。奉納者の筆頭に、前田藩により招聘され当神社の氏子として住まいをしていた鋳物師 釜屋弥吉の名がある。また、この額絵を祭りの際に見た徳田秋声が、小説『穴』の中で額絵の事を書いている。  歌川国鶴 作  縦 約1.5㍍ 横 約9㍍

 

厄割石(やくわりいし

厄除けの黒松伐採後、数十年経っても根を掘り返した穴は埋まらず、未だに人々の厄を受け止めている。拝殿の『厄除玉』(一体300円)に息を吹き込み、厄割石をめがけて投げ入れて下さい。日常の小さな厄は『厄割石』が受け止め、やがて境内の土の中で浄化されます。