摂社 淺野稲荷社

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別名 弥三右衛門稲荷(やざえもんいなり)

加賀藩主三代の家来であった熊谷弥三右衛門という者が狩の途中で懐妊している白狐を逃がしてしまう。それが原因で弥三右衛門は解雇された。職を失い困り果てた弥三右衛門は、小幡正次にお金を借り越前の国に行こうとする。ところが夢枕に助けた白狐が現れ、江戸に行けば富貴を得ると告げる。そこで、弥三右衛門は白狐の言う通りに江戸の浅草に行き、白狐の守護を売り始めた。すると、その守護は病が治るとの評判を得、その商売はたいそう繁盛し弥三右衛門は多くの富を得た。その頃、藩主の奥方様が病に伏せり困っていた伊達藩の家来達が、弥三右衛門の噂を聞きつけやって来た。そして弥三右衛門の白狐の守護を奥方様に持たせると、たちまち奥方様の病は治った。その後、弥三右衛門は伊達藩に召抱えられ、生活が安定した弥三右衛門は浅草に白狐の祠を建てた。ある日弥三右衛門は、加賀の国で世話になった小幡正次にお金を返しにきたが、小幡正次は「金はいらぬ」と言う。それならば、このお金で白狐の祠を建ててくれと小幡正次に願い、弥三右衛門は伊達に戻った。白狐の祠を建てた小幡正次も弥三右衛門同様、その後は富貴を得た。しかし、小幡正次の子孫は「どこの狐かわからんものを」と、白狐の祠を大切にせず、その祠を荒廃にまかせしところ、妖変及び狂気の者出で、お家は断絶となった。同じ頃、淺野の村の者が神懸かり、「わしは小幡の白狐なり。わしを山王社(淺野神社)へ祀れ」と言う。そこで、淺野村の長老が山王社(淺野神社)神主にこの旨を願い出、宝永4年(1707)4月28日 この白狐の祠を淺野神社の境内に遷すこととなり、倉稲魂神も同時にお祀りをした。遷座祭の夜は加賀の国中に光が射し、神変を示したと言う。

 

御祭神

倉稲魂神(うがたまのかみ)

  

御神徳

一願成就(真の心で願えば叶う。邪な心の願いは叶わぬばかりか自身に禍となって返ってくるのでご注意を)

五穀豊穣・商売繁盛

  

祭礼日

夏祭 8月16日